第四章
第一節~ギタリストTとの出会い~
複数のバンドのスタジオやライブをこなしながら高校を卒業し、2009年名古屋の大学に入学する。
大学に入ると自由な時間は増え、音楽活動は更に活発化していく。
バリバリのプロ思考のバンドから、おじさんの趣味バンド、元プロの実力者達のバンドに混じって活動し、実力と感性を磨いていく。
そんなある日、とあるバンドのメンバーに「今度セッションあるけど行く?」と誘われる。
「セッション!?」
まったく聞きなれない言葉にその時はパッとしなかったが、とりあえず行ってみることにした。
それはギタリストT氏の主宰の、「JAZZ FUNK Session」と銘打ったセッション。
当時はそんな難しい音楽は全く知らなかったが、
「こんなにも自由に演奏できる音楽があるんだ!!」
と興味を持ち、毎月セッションに通いつめる。
その頃の演奏がどれだけ酷いものであったか、今では想像もつきません。
第二節~ブラックミュージック~
そんな中、まだまだドが付くぐらいヘタクソで、まともに曲が成立しないくらいだった僕に、セッションの楽しさを教えてくれたのがセッションの主催者であるギタリストTだった。
僕に何かを見出してくれたのか分からないが、セッションのイロハや定番曲、ネオソウルやゴスペルのグルーヴをゆっくり教えてくれた。
「ブラックミュージック」という言葉を教えてくれたのも彼である。
この頃から所属していたロック系のバンドをすべて辞め、「黒人最強主義」に走り始める。
2,4のスネアのレイドバックに異常にこだわる風習が、当時の名古屋のセッション界隈にはあったのである。
今となってはなんて初歩的なことをグチグチ言っていたのだろうと思う。
そんなことを考えながら、セッションに参加したり、ブラック系のバンドをやったり、自分でセッションを主催したりと、充実した音楽生活を送る。
第3節~大きな選択、2択~
気が付くとあっという間に大学三年生。ちらつくのは「就職」の二文字。
「あと数ヶ月したら就活を始めないといけない、、、、」
当時の僕はそれなりに音楽活動をしてたものの、プロのミュージシャンになる気は全然なかった。
プロのミュージシャンのイメージが全くつかめなかったからだ。
「でもこのまま就職したら、一生サラリーマンか、、、、」
就職して社蓄になる前に、もう少し、なにか楽しいことはないか、そんなことを模索する日々、、。
そんな中思いついたのが「アメリカ留学」である。
「アメリカに行けば英語も勉強できて就職に有利だし、音楽も楽しめるかも、、、?」
人生最後の楽しみだと思って、無茶なお願いを親も渋々了解してくれた。
あれは確か2011年の2月頃。